2012年5月9日水曜日

旅行編 山陰~九州南部~四国 と車で回って

今年のゴールデンウィークは、鳥取経由で島根2泊、山口下関、熊本経由鹿児島2泊、宮崎1泊、四国経由で神戸1泊と車で回ってきました。総走行距離3,460kmの旅でした。
飛行機や新幹線だと早すぎて見落としていたこと、これまで気付かなかったことをみつけては、新鮮な驚きを感じました。それを以下につらつら書き留めてみました。

【交通関連】
-高速
車のナビは4年前の高速を反映(アップデートしていなかった)していたので、今回いかにナビに掲載されていない新たな高速が竣工しているかを思い知る。公共投資はここ数年で削っているはずにしても、これだけ建設されているとは意外。そして、やはり高速があるとないとの違いは大。地元の方々の思いも慮られる。中国地方は部分的に作っては無料区間とし、高速の便利さ地元に認識してもらって、民間資金を誘い入れる考え。道路公団が建設ができなくなりメンテのみになったので、今後の全線開通させるには民間資金をいかに活用するかが課題。九州の東側も本当に一部のみ高速が竣工。しかしこちらは無料区間はほとんどなし。

-市町村名の看板
高速や国道の横には、県境や市町村の境に名所や名産品の絵の描かれた市町村名が明記され、四国地方では絵だけが残され市町村名部分が消されているところが散見された。平成の大合併の影響か?
豊田市の看板は、車の絵はいいとして、その横に紳士淑女までが描かれていて失笑(企業文化というか自意識の現れ?)。

-渋滞
Twitterで真っ先に知る時代。JARTICなどより早いし、詳細。いらんことまで誰かが呟いている。(以下蛇足だが・・)渋滞になると後部座席の野獣はなぜかいらいらテンションが上がり、ここでビートのかかった曲がかっていると喧嘩をするが、クラシックをかけるとcalm downする。これぞα波のなせる技?

-車の車種
名古屋周辺地域のプリウスの多さ、プリウス以外の東京ではあまり見かけないハイブリッド車も散見。
山陰、九州では地名の後は2桁のナンバーがかなりの比率(東京では現在はほとんどが3ケタナンバーか)、車は大事な家族?改造や洗車をして手をかけている人が東京周辺より多い。
-フェリー
甲板で興奮している一元さんは我が家のみ。一段落して下に行ってみると、みなさん8割方睡眠中。四角い枕まで準備されていて、「本日は満席のため、横になって寝るのはお控え下さい」と張り紙。さらにそこに紙が付いていて「ただし出港まで」と。この禁止規定と、出港までという区切りと、ほとんどの人がさはさりながら寝ているという事実がよくわからないまま時が過ぎた。

【自然編】
-植生と気候
中国地方は稲作、四国は麦畑と溜池、九州は山が迫って平地は少ない。火山灰地で栽培できるお芋を導入した薩摩藩は偉大。中国四国地方は九州に比べて平地が開けていて稲作がさかん。九州に入って南下すればするほど木が生い茂って、丈も高い。モコモコっていう表現がぴったり。
熊本は湿潤、鹿児島、宮崎と行くに従い湿気がなくなりトロピカルに。シーガイアの名にも付いている「フェニックス」とは、自生しているヤシ科の植物で、宮崎県の木。天候は山の天気のように変わりやすい気がした。鹿児島は火山灰を警戒して桜島からの風向き予報あり。火山灰を払う専用のワイパーあり?こまめに掃除しないと窓が開かなくなる悲劇も。

-田植えの時期
東京近郊は出発時にはまだのところが多かった。静岡あたりから田植えの光景が見られ、中国でもトラクターや手で植えている農家を多数見かけた。他方、九州では稲がかなりの丈に既に育っていた。日本は縦長な国であることを再認識。

-その他
高速虫(高速を走っていると哀れなことにフロントガラスにてご臨終される虫たち)、ツバメの数、南に行くに従い増えた。

【その他】
-島津くんこぼれ話
薩摩の33代目藩主(世が世なら)は銀行時代に机を並べた親友。彼は今、大名庭園である仙巌園の管理と神主の二足のわらじに加え、鹿児島での財界活動に忙しい。仙巌園で晩餐をいただきながら聞いた話。

(なぜ薩摩が日本の辺境の地にありながら近代化の礎となりえたのか、の問いに対し)
薩摩、長州、土佐は突端に位置。他の世界との接点であり、いつ攻め込まれるかわからない、そのためには最先端の情報収集と技術習得が必要、という意識が常にある。内陸部とは違う。
(参勤交代ってこの道中をずっと歩いたの?船は利用できた?)
徳川家にとっては、有力大名の力を削ぐことに主眼があったから、参勤交代は原則歩き。船の利用は特定の場所のみでほとんど許されず。班ごとに分かれ、各宿場町で合流した。

(神社は祀られている神様によって雌雄あり)
屋根の棒が奇数の場合が男性、偶数が女性。

(ザビエルとその先遣隊が見た日本)
ザビエルが来訪する一年前、既に先遣隊が来て、文章を残している、そこには、島津の家紋(当時の家紋は現在の十字に○ではな く、十字のみ)を見て、クリスチャンが既に沢山いると勘違いしたこと、指宿を見学して、日本人が砂に埋まって温浴している(!)と書いている。

-神話と古墳の古里
山陰も九州各地もやはり日本の始祖であり自分たちの起源の場なんではないかな、と感じられることが多々あった。それは神話にちなんだ場所であったり、神話期の神様や天皇を祭った神社であったり。とにかくいたるところに点在している。今年がたまたま古事記1300周年の年であり、たまたま旅行直前に竹田恒泰氏(明治天皇の玄孫)の古代日本に関する本を読んでいたこともあり、今回の旅行が偶然にしてはちょっと不思議な感じもした。

-その他のその他
屋根の色、墓石の色(地域により取れる石によって異なるものと思料)や形、生けられているお花(墓石が影響しているのか、比較的いろいろな色が見られる東京近郊は菊などで白基調で、おとなしめの色合い、替わって九州では色とりどりな花が多く見られた)
鯉のぼりの建て方(屋根から横、あるいはななめに長く引っ張り、だいたい5匹くらい泳いでおり、横には息子さんと思われる名前が入った幟が立っている。東京はスペース的にできなくなってしまっただけなのか)
温泉 九州は少し塩分あり、桜島の影響で砂蒸しも!
国民の教育水準の一定さ。日本は津々浦々まで普通に暗算しているが、欧米ではこうはならない。

【最後に】
日本は麗しの国。この美しい大自然や古代から続く長い歴史、もっともっと日本人が誇りにすべきことは沢山あるはず。子供たちの世代にも伝えていくべきだし、世界にもアピールすべきだし、やるべきことがまた多く見つかったように感じた。