2012年6月13日水曜日

ひっそりと仕分けられてしまいました...


  集合写真  

先日、内閣府の「自分仕分け」、 すなわち、自ら事業の無駄を洗い出す「府省庁版事業仕分け」で「世界青年の船」事業が廃止になってしまいました。

昭和42年度に開始された「青年の船」事業は、日本の若者がまだ自力で海外に行くことが難しかった時代に、政府が日本青年を海外に派遣するという、正に日本国中の青年に大きな夢と希望を与えた事業でした(同事業ウェブより抄)。
(写真上:第1回青年の船出港式(1968年))
さらに ここ10年は、「青年社会活動コアリーダー育成プログラム」が追加されたり、招聘した外国青年と、国際的な問題に関心の深い日本青年とが率直な意見交換を行う「討議セッション」が追加されたり、と設立当初の趣旨を汲み、さらに深化させたことが分かります。
しかしながらこの事業は、今月仕分けの対象となり、45年に及ぶ歴史に幕を閉じることになりました。

実はこの事業、父方の祖父が生前の役人時代に、数年をかけて実現したプロジェクトでした。祖父は率先して自分も船に乗り、また、たくさんの方々から報告の手紙や写真をもらったりしていました。
私が幼いころ、祖父の家に行くと、写真が手元にわんさと積み上げてあり、初めて見る外国の風景、外国人の様子に目を見張りました。
まさかその数年後、自分が親の転勤で異国の地を踏み、そしてさらにその後、日本と海外をつなぐ仕事をするとは、当時は想像だにしませんでした。

政府の決定にとやかく口を出す立場にはありません。
ただ、パスポートを持つ若者が減り、内向き志向が指摘される今日の日本にあって、若者が海外と接点を持てる機会が、別の形に昇華されて存続することを切に願います。
国境をまたいで青年同士が一緒に生活をして、腹の底から理解しあうことの重要性は、飛行機の時代になっても、インターネットの時代になっても、そんなに変わらないのではないかと思うからです。