2012年12月29日土曜日
映画『レ・ミゼラブル』鑑賞
年末大忙しのこの時期だけれど、映画の『レ・ミゼラブル』を観た。
もう途中から涙涙で、出てきて家に着いた時には疲れて何もできないほどだった。
原作のヴィクトル・ユーゴーの『ああ無情』は子供の頃にも絵本で読み、中学の時に原作を読み、内容については理解していたつもりだけれど、時が経って、また今回はミュージカル版の映画化ということで、迫り来るような歌の迫力も加わり、感じられたものも随分違っていた。
感想というより衝撃にも近いものだった。
話の背景にあるのは、圧倒的な貧困そして格差。
主人公のジャン・バルジャンは妹の子供の食べ物を確保するため、一つのパンを盗んだ罪状で投獄され、脱獄を試みたために19年も牢獄につながれることになる。時代は1789年フランス革命後、ナポレオンの帝政を経て王政復古の時代である。パリ市内のあちこちにはスラムがはびこり、病人が街角で物乞いをしている。状況を見かねたブルジョワ学生が市民を巻き込んで革命へと導き、1832年の6月暴動でのバリケードが場面として描かれる。
若者が憤り、手に銃を携えてバリケードを築く。子供も例外ではない。ドラクロワの絵にピストルを持って描かれた少年がモデルというガブローシュもバリケードの前面に立ち王政軍に対峙する。とても痛々しい場面で涙なしでは見られないが、このような場面は何も19世紀の話ではないのだということを改めて感じた。
最近、反日暴動が吹き荒れた中国。「愛国無罪」の合言葉の下、荒れ狂っていたのは農民戸籍で都市で虐げられた人々だった。ジャスミン革命に端を発する中東・アフリカでの反政府暴動も、蔓延する貧困と格差に憤る若者が主体となっている。
日本も戦中戦後、飢えが全国を覆っていた。半藤一利氏の『昭和史』を最近読んだが、1940年代後半や50年代は三鷹事件や血のメーデー事件など、日本も騒然とした中でデモが頻発していた。それほど昔のことではない。
日本人は豊かになり、格差も減った。社会のセーフティネットが拡充された今、街角で飢える子供を目にすることはない。今回の衆院選挙でも若者の投票率の低さが指摘されたが、怒る対象がない以上、政治に関心を持てといっても限界があるのだろう。
しかしながら、日本製品が海外での競争力を失う一方、エネルギー輸入の増加等で月次では経常収支が赤字に転落している。今までの貯金を徐々に使い果たしてしまうような事態が起きているのである。今まで通りの暮らしが徐々にできなくなる可能性もある。
働く口もなくなって、自分の子供がもし病気になったら、飢えていたらどうするだろう、と自問してみた。やはり同じように物を盗んでまで救おうとするかもしれない、何としても守ろうと思うだろう、そう考えただけで身が震えた。
そんな事になる前にやるべきことはたくさんある。とにかく子供たちが苦しむような世の中にはしたくない。子供たちは街角で病気で死んだり、暴動で血を流すために生まれてきたわけではないのだから。
映画の話に戻って、豪華な出演者の歌声は本当に素晴らしかった。歌いつないでいくミュージカルやその映画版は普通の映画よりも観客に訴えるものが強い気がする。
フランス人はどんな風に見ているんだろう、ってちょっと思ったけれど。パンは「一つ」、ではなくて、きっと原作ではバゲット「一本」なんだろうし、アマンダ・サイフリッドはどうしても当たり役『マンマ・ミ-ヤ』のイメージが強かったし。でも透き通るような高音はどこまでも美しかった。
年末に生きる勇気を与えられた、そして守る者のためにやらなくてはいけないことが沢山あるんだ、っていう気がとてもとても強く感じられた一本。良い映画でした。