2011年4月5日火曜日

原発事故に際して

ずっとブログを更新していないのが気になっていました。海外出張とその前後の忙しさにかまけているうちに、日本が未曾有の大災害に遭遇し、1月以来の更新になってしまいました。
宮城、福島を始め、震災や原発事故の被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げたいと存じます。

福島の原発事故の動向は、収束には長期を要する、そしてどれくらいの期間が必要なのか予測もつかないとのこと。IAEAでの報告団が海外の記者に汚染水の流出について質問攻めにあっていたようですが、海外から見て、これほど理解不能な国もないのではないかと思います。東電の発表が何度も訂正されたり、政府の開示が部分的にしか行われていないことに各国からの不信感は募るばかりのように、海外メディアを見ていて感じます。

昨年からこのブログの何度かの投稿で何故か原発に触れていたことに、いまさらながら気持ちの悪さを感じます。あの時には発電比率の違いや、つくばの科学館の数々のメッセージからイデオロギー的な違和感を感じたに過ぎなかったのですが、「原発容認派」と「原発反対派」の図式がここまで鮮明になって、初めてその推進勢力や管理体制について知る部分がありました。ただ、誤解を恐れずに言えば、このような事故が起きることは想定しがたかった中では、果たして産業政策、環境対策、地域振興策として、強力な代替案を示せる勢力がいない中で原発建設推進(そして外国への輸出)がなされたことは確かであり、もしここまでたくさんの人の命を危険にさらすことが前もって明らかにできたのであれば、答えは自明であったのにと思います。
皮肉なことに、日本人の大半の人がベクレルやシーベルトという物理学者の名前を日々耳にするようになり、原発の仕組を図解入りで理解するようになったり、自分の被ばく量について気にするようになるなど、一か月前には想像もできないことでした。
チェルノブイリのように25年経ってようやく明らかになる事象があり、そのようなリスクの可能性があることに対して、どう考えどう行動すべきなのか。 日本人が歴史上初めて自己責任で行動指針を判断すべき時が来ているのかな、とも思います。

日々命がけで作業されている自衛隊や原発関連の作業員の方々やそのご家族のことを思うと、もしもこれが自分の息子だったら、と思うと、本当にやり場のない気持ちです。ナショナリズムを煽って特攻隊のように突入させるのではなく、作業員の身の安全が守られていることをひたすら祈るばかりです。