2012年11月20日火曜日

国民栄誉賞について教育という観点から


先日、レスリングの吉田沙保里さんの国民栄誉賞の受賞が決まった。
13大会連続世界一なんて途方もない記録、打ち立てるまでにはとんでもない鍛錬あってのことなんだろう、とそれを聞いてまず思う。オリンピックの時も寝ないで見ていてよかったとつくづく思ったし、上がる日の丸を見て、本当に日本人で良かったー、ありがとう!って気分になったものだ。

ただ受賞に際しては、一部で疑問も唱えられていたという話を聞いた。
これまでの受賞者を見ると、スポーツ選手か芸能人、歌謡曲の作曲家、漫画家、といったところか。
「前人未到」の記録ばかりだし、国民に感動を与えて、その時代の金字塔になったというような方々ばかりだ。ただ、言われてみればそれが最高峰の栄誉なのか、というと議論の余地はあるのかもしれない。
しかしながら、「国民」の「栄誉」というには、狭い範囲のみに与えられている賞であることは否めないかもしれない。

スポーツ選手の多くは現役時代はとても評価されるが、その後解説者になって活躍できるのはわずかである。

若者の中には、勉強はダメだったけど音楽で、ということでギター片手に上京して、街角でシャウトしてたりする。本当に売れて生計を立てられるのはほんの一握りの人たちに過ぎない。

こういう実態をツラツラ考えていくと、必要以上にこれらの限られた職種・選択肢を過大評価するのは、子供たちの教育上、リスクありと言えなくはない。

さらに、音楽・芸能は狭い範囲に限定されていないか?という疑問だってありうる。例えばクラシックの音楽家、バレエダンサーなど、日本の若者が世界では高く評価されているのに、本国での評価がそれに伴わず、海外在住、海外公演をしているという実態があったり。


何もこれらの人たちのものすごい記録を否定しようと思っているわけでもないし、子供たちに夢を見るな、と言っているわけではないのだけれど、これからの日本、ますます地に足をつけて「勉強」や「努力」をしていかないと、これまでの貯金をどんどん使うだけの国になってしまうからね、ということは大人が言うべき義務だろうと思う。そういう意味で、議論がなされたというだけでも一歩前進かもしれない。

もっともっと評価されたら良いもの?そうですねぇ。数学オリンピックとか、起業家とか。ノーベル賞も変な改ざんしてた方ではなくてきちんと受賞者の方。
これからの日本経済・産業を引っ張っていくような、そんな方向で努力していることが報われるような、そんな評価座標に脚光が当たってほしいと思う。