2015年9月1日火曜日

雑誌『BUAISO』 第13回目は「プレゼンテーション(4) ~はじめに言葉ありき」 です

【Point of View 女性経営者のグローバル視点】プレゼンテーション(4) ~はじめに言葉ありき

 新約聖書には、「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった。万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。」(ヨハネの福音書第一章より)とあります。
 前号では、言語の使い方、思考パターン、会話運びのルールについて触れてみましたが、今号では、その大本の本にあたる、人類の言葉のはじまりや広がりについて考えてみたいと思います。

言葉のはじまり

 霊長類は喃語にも似た音声を発することができる種が多く、初期人類と言われるアウストラロピテクス(約350万年前~200万年前頃)からネアンデルタール人(約20万年前~2万年前)にかけても、既にL字型の咽頭を持って、多少の会話はできたと言われます。ただ、約20万年前にアフリカで誕生して約6万年前にアフリカから他の大陸に進出したホモ・サピエンスは、それまでの種よりも明らかに発達した声帯を持ち、それまでの種と比較して高いコミュニケーション能力を持っていたため、現代につながる種族となったとのこと。すなわち、道具や狩猟の手法など、種族内での小さな「発見」を言葉で共有することができ、文明を築くことができ、先住の種であるネアンデルタール人などとの戦いに勝つこともできたと言われます。
 ちなみに、わたくしが中高で世界史を勉強した際には、人類はネアンデルタール人、クロマニヨン人と進化して現代のわれわれにつながるというように習ったように思うのですが、1994年から1997年にかけて発表された研究から、アフリカ出身でヨーロッパを本拠としていたネアンデルタール人は同じくアフリカ発祥のホモ・サピエンスに滅ぼされたという説が主流になり、今に至るのだとか。歴史も何もかも、知識はアップデートしなければいけないものだと改めて感じます。
 また最近、わたくしが代表を務める社団法人の活動でご縁のあった小学校の校長先生が、アメリカ在住のアフリカ人のテンバさんという方の経験談をお話ししてくださいました。テンバさんは、あるとき白頭鷲が瀕死の状態で傷ついて飛べなくなっているのに出会い、最初は英語で“Oh dear, what is the matter?”などと声をかけていたものの、プライドの高い白頭鷲は、そのように弱った中でもくちばしで必死に応戦しようとしてきたとのこと。それでも何とかして助けないと出血もひどく死んでしまうと、果敢にも白頭鷲を抱きかかえに行ったその方の口から、とっさに、古くから母国に伝わる動物に呼びかける言葉が出たら、なぜかその白頭鷲はだらりと頭を預けて懐いてきたそうなのです。そこで、無事に保護して傷を治してあげることができたとか。
 この不思議なお話を聞いた時に、もしかしたら人類の発祥の地であるアフリカにいたわたくしたちの祖先は、言葉の原点に近く、動物とも会話ができたのではないか、との感覚がしました。白頭鷲はアメリカ大陸のみに生息している鳥だそうですので、どこまで関連があるかは不明ですが、ちょっとロマンティックな話だと思います。この話については絵本化の計画もあるそうで、世に出た時の反応がまた楽しみです。

言葉の広がり

 言葉の広がりについて調査を行った鈴木秀夫氏の『気候の変化が言葉をかえた-言語年代学によるアプローチ』『気候変化と人間-1万年の歴史』など一連の著作を読むと、いかに言語が広がっていったかを知ることができます。「歯」「血」「手」など、基本的な単語に着目して、それぞれの地域でどのような言葉が使われているのか、似たもの同士をグルーピングして地図上に示すという手法を採っています。それによると、アイスランドやブリテン島の南端と、インドのグジャラティ語の親和性から、改めて「インド・ヨーロッパ語族」と言われる所以がわかったり、民族の移動があって言語が「上書き」された歴史、民族の移動が至らず、先住民族が残った白地地帯に特異な言語が存在(バスク語やケルト語など)することがわかったりします。また、特定の事物の発見や発明によって、言葉が開発され、伝播した歴史も示されています。例えば「鉄」は3200年前にヒッタイト帝国が崩壊した際に、その製法の秘密が世界に広まっていったものであり、事物の伝播とともに言葉も広がるという過程が理解できて面白いです。

認知と言葉

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 農耕文化と共に広がった「牛」を例にとれば、日本人にとって牛は農耕をする上で欠かせない大切なアイテムであり、食べることは禁忌でした。今でこそ多くの焼肉屋で珍しい種類の部位を食することができるようになりましたが、日本人が本格的に獣肉を食べるようになったのは明治維新以後だったため、もともと牛の部位を表す言葉は日本語には20種類しかなかったそうです。他方、昔から牛肉が身近な食材であった韓国では100を超える言葉で部位を表していたそうで、焼肉屋さんを営む韓国人の方が、同じ名前で別の部位を供さなくてはいけないのがもったいないと嘆いたと言われます。それがカルビ、ハラミをはじめ部位の認知と共に言葉が定着し、日本語の語彙も増えたと聞きます。確かにその方がおいしそうに聞こえます。
 単純に新しい物が入ってきて、外来語として認識されるだけではなく、既存の物も見方を変えると別の単語が当てはまるという一例かと思います。
 さらに近年であっても、「ケータイ」という言葉は電話が携帯できるようになるまではなかった言葉で、「スマホ」もケータイが賢くスマートになられて登場した言葉なわけで。Telephoneそのものだって、グラハム・ベルらが19世紀に開発するまではなかった言葉で、それが日本に送られ「電話」と訳されて初めてその物体が認識された、と考えたら面白いですよね。新興国の中には、固定電話回線のインフラを持たないまま、いきなり携帯電話が普及した国々も多いと言いますが、もしかしたら固定電話という概念の言葉がない国もあるのかもしれない?! などと考えてしまいます(ご存じの方がいらしたら教えてください)。
 このように毎日の生活で周りを見渡せば、すべての物事や事象は言葉があって成り立っているという事実に改めて気付きます。

言葉と知覚

 言葉が物事の知覚のはじまりである、というのを聞くと、思い出すのがヘレン・ケラーの伝記です。特にサリバン先生が何度も手にW-A-T-E-Rとアルファベットを書き、水を触ったヘレンが「これがWATERか」、と気付く箇所は読むたびに胸が熱くなったのを覚えています。
 子どもを育てていると、同じように「言葉」と「事柄」がビビビっとつながった、そのはじまりの場面に遭遇することが多くあります。このコラムを担当させていただけることになった時にはまだお腹の中にいた第三子が、おかげさまで2歳を過ぎ、現在、毎日貪欲に新しい単語を習得している最中です。生まれて数か月して、クーイングや喃語という「おしゃべり」を始め、目の前にいつもいる人を認識して「ママ」という言葉を発し、それが、「ママ、だっこ」と2語文になり、「ママ、ここ、きて」と3語文になり、今では簡単なギャグが飛ばせるまで……、とどんどん「進化」しているわけです。言葉が一つ増えるたびに、彼女には新しい世界が開けているのを感じます。
 その中で明確に思い出すのが、「ホウチョウ」という言葉を教えた時のことです。台所の流しの下の戸棚に包丁を収納する場所があるのですが、そこだと子どもの手が届いてしまうため、我が家では台所の上の方に細長い磁石のホルダーを設置し、そこにピタっとくっつけて、鋏など他の刃物と一緒に並べています。その台所の壁に張り付いた刃物は、それまではおそらく娘にとっては風景の一部として見えていたのでしょうが、あるときその一部の銀色の物体が手元に下りてきて、きゅうりを刻むのに使われたりする、そしてそれを母が(わざとですが)触って「痛い!」「危ない!」と言っている……。そうした光景を数回見てから、彼女は包丁を「アブッ!」と言って指さすようになりました。彼女にとり、あたかも平板な一色の風景だったところから、ホウチョウというどうやら危ない物が切り取られ、独立した「存在」として見えるようになった、その瞬間に居合わせた、そんな感じがしました。

結論

 一面の壁の景色の中から、突然、包丁が形をなして明確に目の前に現れる……。優れたプレゼンテーションに出会うと、このように、一見ぼんやりと見える背景の中から、突如、明確に相手の伝えたい内容が切り取られて伝わってくることがあります。包丁で刺されるのはごめんですが、いわゆる「刺さる」プレゼンというのはこのことをいうのだと感じます。
 現在、法人からお子様までを対象に、プレゼン力向上のお手伝いをしておりますが、その仕事をしながら常々感じるのが、表現の根源にある一つ一つの言葉の大切さです。言葉の微妙なニュアンスの違いにより物事の認識のされ方も変わります。「はじめに言葉ありき」という言葉の重さをひしひしと感じます。
 また、コミュニケーション能力が低かったネアンデルタール人が現在につながるホモ・サピエンスに滅ぼされたという歴史もズシリと響きます。日本人のように多くを語らず、会話量が少なくても生きてこられたという「高コンテクスト」な文化には、尊ぶべきところも多くありますが、そうした表現方法だけに甘んじていてはならないという、歴史の警鐘かもしれない。わたくしにはそんな風にも感じられます。
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