2010年7月16日金曜日

儒教と子供の音楽学習の関係について

弟子入即孝(ていしいりてはすなわちこう) 出即弟(いでてはすなわちてい)
家にあっては親に孝を尽くし、社会に出ては目上の者を敬う

と儒教は説く。我が身を振り返ると耳が痛い。
が、最近、音楽業界についてリサーチをしていて、もしかしたらアジア人には脈々と流れている発想なのかも、と思う。

①欧米の知り合い何人かに聞くと、周りで音楽教室に通っているお友達は、アジア人が過半数というところが多い
(これは実際、日系企業で海外に音楽教室を展開されている某社さんの統計とも合致)

②パールマンや五嶋みどりを育てたディーレイ女史の伝記によると、バイオリンのソリストの変遷は、昔はヨーロッパ人の牙城、やがてユダヤ系(スターンら)が台頭し、今日ではアジア人が主力

③中国では、子弟に音楽教育を授けることが一種のブームになっており、ピアノの販売は2桁成長とのこと。インテリアとしてグランドピアノを何台も買う人もいるそうで。

音楽は本気で学ぼうとすると、子供のころから、コツコツと毎日練習することが必要である。子供の意思ももちろん必要だが、ほとんどの場合は親が子供を楽器に向き合わせ、練習に付き添い、子供がその親の言うことをきちんと聞くかどうか、というあたりが少なくとも多少モノになるかどうかの分かれ目になるようだ。

これは、親には服従することが当然という発想が、親と子の両方にないとダメかも、というのは米国人の談。米国では、子供が何をしたいかを自分で見つけさせることが親のつとめ、と考える親が多い。従って、親が子供の意向も聞かずに楽器を毎日押しつけるなどもってのほか、というわけである。

楽器を習うことは、両手を使ったり、先の譜面を追うことで、脳が活性化されるなどの効用が聞かれる。ピアニストにはアルツハイマーになる人がいないそうで、恐らく理論的にもやらないよりはやった方が脳みそ上はプラスなのだろう。しかし、クラスの子の多くがピアノを習っている、というようなこともまたアジアの特徴なのだろう。
孔子の時代にも「詩書礼楽」が重んじられ、このうちの「楽」は現在の音楽だと言う。昔の中国の人たちもたしなみとして、音楽を奏でたようである。親の言うことを聞いて練習したのだろうか。

アジア人がどちらかというとコツコツと事務型人間が多く、欧米人が大胆な発想をするように思うのも、こんな背景があるからかな、と思う。