2015年12月11日金曜日

雑誌『BUAISO』 第14回目は「プレゼンテーション(5) ~振りかけるだけで話がイキイキする魔法の粉とは?」 です

前号では、「ことば」の始まりについて触れ、使うことば、選ぶことばの大切さ、プレゼンなどの場でことばを厳選することの重要性について触れました。
 ことばの形成期、類人猿たちは、乳児が使う喃語のような、動物の鳴き声ともとれる声を発し、ボディランゲージや目の前にある物などを使って伝達手段を補ったのではないだろうかと思われます。その後の発達の中で、言語を使えるようになった際、言葉はどうやって形成されていったのでしょうか。よく、幼い子どもが犬を指して「ワンワン」と言ったり、何かを説明するのに(往々にして意味不明に)「それがね、ドンってなって、ワッてなったの」などという表現で話すのを耳にしますが、もしかしたらヒトも、最初のころはそのようなプリミティブな擬声語・擬態語で会話をしていたのが、だんだん周囲の人が合意する「ことば」を共通化し、「言語」としてルール化することでみんなの物になっていったのかな、などと想像します。
 この擬音語、擬態語はフランス語でアノマトペ(onomatopée)、英語ではオノマトペア(onomatopoeia)とも総称されまして、私はこの音が好きなので、ここでは以後アノマトペという語でお話ししたいと思います。格調高い文章では、稚拙な表現だとして退けられることの多いアノマトペですが、その一方で、特に口語表現の世界では、表現を躍動感あふれるものにする効果があると思います。

翻訳者の苦悩

 まず、このアノマトペ、実は日本語は数ある言語の中でも一番多くの表現があるということです。例えば、「笑う」という動作を表現するだけでも、「にこにこ、にこっと、にっこり、にやにや、にやっと、にやり、くすくす、からから、げらげら、にんまり、にっと、にたにた、にたっと、へらへら」などなど、たくさんの言葉があります。英語では、laugh、smileに加えて、cackle(キャッキャッと)、giggle(くすくす)、grin(にやり)、whinny(馬のように笑う)などの表現はありますが、今挙げた日本語の「笑う」を訳そうと思っても、ぴったりとした訳語はありません。仕方なく文脈で言葉を補って、「笑い」の種類を伝えたりせざるを得ません。中国語では、笑い声の擬声語は、「嘻嘻(にこにこ)、哈哈(はっはっは)、呵呵(はっはっは)、嘿嘿(へへ、ふふ)、嗤嗤(せせら笑う)、咪咪(にこにこ)、 嗤(ぷっ)」など数種類あるそうですが、場面に応じて、笑い方が瞬間的だったのか、それとも長いこと持続しているのかなど、言葉を補って状況を説明する表現を加えているそうです。
 翻訳というお仕事の辛さがなんだか身に染みてきます。他方で、日本語がどうしてこれほどまでに豊富な表現擬態語・擬声語表現を手にするに至ったのか、想像するだけでなんだか楽しくなります。大陸や北方、あるいは南方の島の方からいろいろな言葉が混ざった結果なのでしょうか。

魔法の粉のような“アノマトペ”

「目がキラキラしている」は「目が光っている」では表せない表情があり、「牛乳をがぶがぶ飲む」は「勢いよく飲む」では表せない勢いがあります。
 こうしたアノマトペは、話し言葉だけでなく、書かれる表現にもあります。例えば、年々長文化してきている外食店のメニュー表記。「水菜サラダ」と言う代わりに、「シャキシャキ水菜にカリカリジャコ乗せ」といった具合です。「もっちり」「ふんわり」「とろり」などの表現も多用されているように思います。いずれもただ、「パン」「卵」「プリン」と言われるより、アノマトペがつくとなぜか、一層おいしそうに聞こえるのが不思議です。最近では、外食店のみならず、コンビニの商品名に至るまで、気付けば身の回りのあらゆる商品にアノマトペの粉が振りかけられているような気がします。きっとある時、この振りかけるだけで魅力的な食べ物に聞こえる「魔法の粉“アノマトペ”」の存在に外食業界が気付いたのかもしれません。
 企業のブランド名やコンセプトなどにも使われることがあります。適度な湿度を「うるるとさらら」と表現しているエアコンブランドがあれば、Zoom-Zoomというブランドコンセプトを打ち出している自動車メーカーもありますね。同自動車メーカーによると「子供の時に感じた動くことへの感動を愛し続ける皆様のために」表現されたそうです。CMで聞くたびに楽しい気持ちになります。
 さらに、スポーツ界では陸上選手の走り方を向上させるのに「ポンポンではなくグイグイ走れ」というようにアノマトペが使用されていたり、医療の現場では病気の症状を表現するのに医師が「チクチクしますか?」「ズキンズキンと痛みますか?」と積極的に患者にアノマトペを使って語りかけていたり、ロボット開発の現場では、いかに滑らかな動きにするかという議論でもアノマトペが多用されていたりと、魔法の粉によって、実は日本人の表現力が範囲も深さも広がっていることに気付きます。

達人、宮沢賢治

point (2) アノマトペといえばこの人の右に出る人はいない、と感じるのが宮沢賢治。わたくしは子どもの頃、宮沢賢治の本を何冊かは読んだものの、どうもあまり好きにはなれませんでした。その理由は、読んでいると何となく何者かが背筋を這うような、ぞくぞくとした気持ち悪さがあったから……。しかし、今思えば、このぞくぞくとする生々しさの大きな理由がこのアノマトペにあったのではないかと思うのです。大人になって改めて読んでみると、いやいやとんでもない! 何とも面白いではありませんか。
 必死に考えてこれだ!と決めて書いたのか、それとも、頭に次々浮かんで、自然と筆をついてサラサラ書かれたものなのか、今では本人に確かめようがないのですが、これ以上の情感の豊かさはなかなかないように思います。なにより、読んでいて笑顔になってきますよね。

アノマトペは稚拙な表現?

 他方で、アノマトペが必ずしも評価されない場合もあります。例えば、中野重治が志賀直哉の『暗夜行路』を評価した随筆には下記のように書かれています。
「(志賀直哉は)概念的ひろさに従わなかったときと同様、犠牲的に表現することがない。必ず他の言葉で、いわば思惟的に説明する。(略) つまり原則としてオノマトペイーがない。ある種の、五流・七流作家などのやる『じっくり腰をおちつけて』『にんまり笑った』の類を決して書かぬ。人間の心理的変化・位置などを犠牲的に表現する境から出て、感覚的近似値でなく、知的・思惟的連合観念で彼は言い表す。このことで、このスタイルはオノマトペイーによるスタイルより大体において高級ということになる。」
 アノマトペを使うことが五流・七流かどうかは別として、アノマトペを排除して論理的な言葉のみで表現すると格調高く聞こえるというのは真実かもしれません。恐らくアノマトペは口頭表現やカジュアルな表現の場合により活躍する言葉であり、逆にアノマトペによって論理的には聞こえなくなってしまう場合がある、という負の側面には留意しなければいけないというわけですね。

スティーブ・ジョブズのプレゼン

スティーブ・ジョブズは「Boom!」などのアノマトペをプレゼンの中で多用した
スティーブ・ジョブズは「Boom!」などのアノマトペをプレゼンの中で多用した
 近年、世界的なプレゼン上手といえば故スティーブ・ジョブズが挙げられるでしょう。彼は実は、プレゼンの中で、”Step one, step two, and Boom! ―There it is!”というように、アノマトペを多用したことでも知られています。スティーブのこの”Boom”は、ちょっと人をびっくりさせる時に使ったり、「ほら!」という日本語にあたるフランス語の”voilà!”やマジックで使われる”hey-presto!”に近いものではないかと考えられます。
 これらの言葉は、人間の根源的な感覚に訴えて、スティーブのプレゼンを実にイキイキと、そう、まさにStay Foolishを体現するツールの一つとして表現されていたように思います。

たまには使ってみたら?

 現在、「子どもたちの話す力の向上」を標榜する社団の活動を通じて、学校へ出前授業に赴いたり、ワークショップを行ったりしておりまして、その中で、子どもたちの様子を見ていると、もちろんどの発達段階においても、もじもじして人前で話すのが得意ではないというお子さんはたくさんいるのですが、中でも小学校高学年くらいから、発表が堅苦しくなっていくように感じます。ますますボディランゲージを使わなくなり、一生懸命、自分を型にはめて、「きちんと」表現しないといけない、と考えているように見えるのです。しかし、そのお子さん方たちも、お友達同士で話している時は、アノマトペたっぷりにイキイキと会話していますし、大人であっても、話をしていて本能的に気持ちよく感じる言葉のほうが好きなのではないかと思うわけです。
 日本語には、せっかくたくさんのアノマトペがあるのですから、これを有効活用しない手はないと思いませんか。あまり多用するとちょっと稚拙に聞こえてしまうのもまた真ではありますが、ここぞという時にエッセンスとして加えると、実はとても効いてくる躍動感あるプレゼンに仕上がるのではないでしょうか。もし今、お手元にプレゼン原稿を抱えて、会議の場でなんて話そう、なんて悩んでおられる方がいらっしゃったら、このようにピリリと効く魔法の粉を、途中でふと振りかけてみられたらどうでしょうか。会議の場で相手が聴いていない、寝ている、なんていう不幸な場面を、少しでも回避できるのではないかと思います。

2015年12月8日火曜日

アルバ・エデュのブログを更新しました。Vol15.「子どもの「殻」をやぶる環境を ~第18回ワークショップを終えて~」です(アルバ・エデュ上野)

先日、第18回ワークショップ「サンタにプレゼン」が無事終了いたしました。
サンタを信じているお子さん限定での募集でしたので、集まった子供はほとんどが園児でした。人前でプレゼンなんてやったことがないどころか、何をするのかも分からないようなお子さんも多い中でワークをいたしました。その中でのちょっとしたエピソードです。

私が担当したグループのお子さんは、園児さん3人でした。そのうちの一人の男の子、まだ年少さんのかわいい男の子です。私が色々話しかけると小さい声で答えてくれます。でも、いざプレゼン練習になっても、その小さい声のままです。

このままでは、プレゼンにならない、と考え、試行錯誤の上、私からお子さんに、あるおまじないをしました。そうしましたら、突然、部屋中に響き渡るような大きな声を出したのです!私はもちろん、周りにいた子たちもびっくりです。

その後は、私に話すときの声はもとのままでも、プレゼン練習ではしっかりした声を出すことができました。そして、同じグループの2人の園児さんもそれをきっかけに大きな声が出るようになりました。

子どもに限ってのことではありませんが、「日常会話をする」ことと「プレゼンする」のは同じ「話す」ということではありません。声を出すことにおいて確実な切り替えが必要です。この認識は、日本では教育現場を含め、まだまだ浸透していません。今回のお子さんは、このことを理屈ではなく体で理解されたように思います。また、幼児さんの中には、おまじないが通じなかったり、本番ではたまたまうまくいかないというケースも大いにありますが、繰り返し繰り返し「訓練」を積むことで、必ず「変化」がみられるのです。

子どもは「殻をやぶる」と飛躍的に成長します。そしてその「殻」は歳を重ねるごとに厚く硬くなっていきます。ぜひ、なるべく早い段階でこの「殻」をやぶる経験をしてほしいと願っています。

アルバ・エデュではこの「殻」をやぶるお手伝いをすべくこれからも活動させていただきます。

2015年12月7日月曜日

アルバ・エデュのブログを更新しました。Vol14.「保育士の給料は高くならない?」です

ホリエモンが保育士の給与は、「uber的にシェアリングエコノミーに組み込まれるので高くならない」という発言をしていました。uber(ウーバー)とは、ご存じの方も多いかと思いますが、スマホアプリを使って、呼び出しから料金の支払いまですべて完結できる米国発のタクシー配車サービスを指しています。確かにワンコインで子どもを預かるサービスが発足したり、安価にベビーシッターを派遣してもらえるサービスが立ち上がったりしており、CtoCで成立する分野も大いにあると思います。

ただ、やはり保育士さんの笑顔を見ていると、プロフェッショナルだなぁと思う部分が多いのですよね。
先日から悶々とこの問題について考えていて、たまたま都内の公立認可園で20年間、保育士をしている友人と話すことができました。

聞けたお話を要約するとこんな感じです。
10年前くらいから保育の世界は大きく変わり始めた。大きな変更点としては下記の4点。
  • 否定語、禁止語を使わない、指示命令のない保育に変わりつつある。昔の小学校でも、給食も食べられない子は掃除の時間になって一人机に向かって食べているなんていう光景は当たり前だった。今では、それは人権侵害。保育園では「一口でも食べてごらん」という無理強いもしないような方針になっている。
  • おもちゃは、一通りの遊び方しかできない物は減らし、素材となる物を与え、乳幼児が自分で考えて遊びを展開できるように大人が仕掛ける。園庭遊具についても同様。理科実験の基礎となるような、科学遊びも適宜入れていく。
  • 危険な行為もすべて頭ごなしに止めることをせず、自分で判断する余地を残す。
  • 通常は一日の保育が終われば、すべてのおもちゃを片付けるのが基本だったが、「継続する遊び」のコーナーを作り、カプラなど数人が数日かけて組み立てていくような遊びも奨励される。

育児にもそのまま応用できる内容に思わず何度も深く頷いてしまいました。
研修もあり、そして実証研究もして、その研究発表の場で個々のプラクティスをシェアしながら、それをまた保育に応用していく先生方。子どもを預かっていただいている先生方の笑顔を想像すると、あの大人数を笑顔でまとめるってものすごいプロだよなぁと私は思ってしまうのでした。

 冒頭のホリエモン発言のように、保育には十分シェアリングの対象になる部分はあるとは思うもののそしてそのくらいの競争があるといろいろなサービスが出て機動性が増す部分も多いとは思うものの)、箱を持って、安定して次世代の子どもたちのちからを育む場としては、保育園はやはり欠かせない社会インフラであると思います。保育士さんは、そのインフラを構成する一要素として、そして一家庭ではできないダイナミックな育児ができるプロフェッショナルな人材として、これからも活躍してほしいです。幼稚園と保育園のスタッフの待遇格差、保育園も認可園とそれ以外の違いの問題など、今後も自分ができる限り知恵を絞っていきたい分野です。

保育の五原則とは「健康、言語、表現、環境、人間関係」だそう。
アルバ・エデュの活動とも大いに重なる分野で、引き続き保育の段階からの人間形成について深く学びたいと考えて、おすすめの本を数冊借りてみました。まだまだ深められる余地が多いにあることを改めて知りました。長くなるので、また改めてご紹介してまいりたいと思います。

アルバ・エデュでもどんどん研究の幅を広げながら、子どもたち、若者たちの成長に向き合っていきたいと考えています。

2015年9月22日火曜日

アルバ・エデュのブログを更新しました。Vol13.「スウェーデン大使館イベントを振り返って」です

http://www.alba-edu.org/staff_blog/staff_blog-616/

少し前のお話で恐縮ですが、アルバ・エデュの活動開始1周年を祝し、8月25日にはスウェーデン大使館でおとなもこどももいっぱい話そう!というワールドカフェスタイルのイベントを総勢約100名で開催しました。

大使館の広報担当の方に最初スウェーデンの暮らしについてお話をしていただき、「長い夏休みがあり、宿題が出る代わりに外での体験を重視、テレビは番組数も少ないこともあり、だらだら見る習慣はなく、家族が政治問題などを親子で話す機会が多い、ホームパーティーも多く、子どもが周囲の大人と話す機会も多い」などなど、意外に知らない側面を教えてもらいました。

スウェーデン人は日本人に比べ、子どもを持つ親を含めて労働時間が短い国の一つです。その分、家族や友人と旅行したり、会話をしたりという時間が多いそうです。翻って、日本の子どもたちの座学主体の勉強スタイルや、公園で輪になってゲームをやっている姿が目に浮かび、人と対話をしたり、自分自身を口頭で表現したりという部分が欠落しているではないか、そんな風に改めて感じたのでした。

イベントの後日談として、スウェーデン在住の方からは、学校が宿題を出さないのは、親が子どもへのストレスを過大視しているからで、スウェーデンの学力低下の原因の一つになっているという裏の側面も伺いました。何事にも裏と表があるということではあるのですね・・・ただ、数字で評価する「学力」以外の大切なものを学んでいるのではないかと思うのです。

さて、大使館イベントでの話しに戻りますが、それらを受けて、チームに分かれて話をした上で、自分がもし日本の首相になったら、どんな国を設計してみたいか、というお題で発表をしてもらいました。
子どもたちからはなかなか斬新なアイディアが出ていました。もっと広くてのびのび遊べる家しか建てられないようにしたら良い、漢字や計算などつまらない授業ばかりではなくて、美術館に行ったりもっと自由な学ぶ方法があって良い、英語が簡単に話せるようになる秘訣を学んだ方が良い、日本は四季があって自然もある、もっと良い面をうまく発信したら良いのに、などなど。

私がこのアルバ・エデュの活動を始めた最初の頃は、人前で自分の考えをうまく発表・発言できるようになって、それで自信をつけて、社会に羽ばたいてほしい、そんな風に考え、プレゼンの練習をする機会を作ってきました。今後も大事なことだと思うのでやっていきたいと思う一方で、そのような本番力をブラッシュアップすることに加え、その根底の力でもある対話の力を磨くことも大事ではないかと考えるに至りました。日常のコミュニケーションの場を増やせば、否応なく自分の話もすることになり、「自分の意見が持てない子ども」という教育現場での悩みも払しょくできるのではないかと思うのです。

今後は発表本番の場数を準備するとともに、今後も親子や地域でふつうに会話が弾むような仕掛けをどんどん考えて実施していきたい、そんな風に考えています。

2015年9月15日火曜日

アルバ・エデュのブログを更新しました。Vol12.「社会起業家支援のプログラムに参加して」です。

http://www.alba-edu.org/staff_blog/staff_blog-612/

6月の顧問就任のご挨拶以来、少しブログをご無沙汰している間、アルバ・エデュも前進していました。Facebookページをご覧いただいている方はご存じかと思いますが、まず、SUSANOO(スサノヲ)という社会起業家を支援するプログラムに4か月間参加していました。その日の様子はこちらに東洋経済オンラインに経産省の方が書かれた詳細な記事があるので、良かったらご覧ください。

私はこのプログラムに参加してみて、こんなにも20代、30代の若者が自分の私欲ではなくて、社会のことを考え、よりよく変えていこうと考えていることに感銘を受けました。恥ずかしながら自分の20代30代を振り返ると、会社員時代はいかに自分(だけ)の付加価値を上げるか、独立してからはいかに会社の基盤を安泰にするか、なんてことばかり考えていた。そう、主語はいつでも自分だけだったように思えて、狭い視野しか持てなかった自分が恥ずかしく思っておりました。

プログラムの参加団体の中には、早速この9月にコラボレーションがかなったテーブルシェアの「エリアル」、子どもの感性を解き放つキャンプを仕掛けている「MAC」、自然と人間の共存を目指す「空から蝶」、イキドコロのない若者が一緒に暮らす場を提供して自律を促す「NOCA」、LGBTもそうではない人もふつうに思える世の中を目指す「やる気あり美」、他にも素敵な活動であふれていました。

このように自分のためだけではなく、社会のために何か活動を始める、という「社会起業」という発想は、これから急速な少子化を迎える日本にとってとても有効な生き方なのではないかと考えられます。すなわち、収益ばかりを追求していても、これからパイが簡単には拡がらないという時代になる中で、ゼロサムな方向性を模索しても、アンハッピーになる人が出てくる。そんな中で、少し自分の中からシェアするものがあったり、少し自分だけではない誰かのために考える余裕があったら、なんだか優しい、生きやすい世の中になるのではないかと思うのです。

それから、もともと日本文化は金銭に執着することを是としない考え方がある中で、個人や個社のためにがつがつ収益を上げることを奨励するのは抵抗がある、子どもの内から資本主義の論理をゴリゴリというのはちょっと、、、という考えもあると思いますので、こんなスタートアップのパターンもあるよ、というのは子どもたちにも紹介しやすいのではと思ったのでした。
(私自身は、経済の発展のためには健全な競争があり、個人や個社が収益を拡大しようとするような事業活動があるからこそ、市場が活発化して、経済が回る部分も大きいとは思っていますので、、、要はバランスですね!)

ぜひ私どものワークショップでもこのような他の社会起業家の活動を支援すると同時、子どもたちにも紹介する機会を作りたいと考えています。上述のように早速一つの団体とはコラボワークショップを成功させることができましたし、今後も一つずつ紹介できればと思っております。また、いずれもっと多くの方にもっと多くの活動を知っていただけるような機会を提供すべく、何かそのようなことが可能な場を実現させたい、と強く感じています。関係各所のお力添えをお願いできればと思います。

2015年9月1日火曜日

雑誌『BUAISO』 第13回目は「プレゼンテーション(4) ~はじめに言葉ありき」 です

【Point of View 女性経営者のグローバル視点】プレゼンテーション(4) ~はじめに言葉ありき

 新約聖書には、「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった。万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。」(ヨハネの福音書第一章より)とあります。
 前号では、言語の使い方、思考パターン、会話運びのルールについて触れてみましたが、今号では、その大本の本にあたる、人類の言葉のはじまりや広がりについて考えてみたいと思います。

言葉のはじまり

 霊長類は喃語にも似た音声を発することができる種が多く、初期人類と言われるアウストラロピテクス(約350万年前~200万年前頃)からネアンデルタール人(約20万年前~2万年前)にかけても、既にL字型の咽頭を持って、多少の会話はできたと言われます。ただ、約20万年前にアフリカで誕生して約6万年前にアフリカから他の大陸に進出したホモ・サピエンスは、それまでの種よりも明らかに発達した声帯を持ち、それまでの種と比較して高いコミュニケーション能力を持っていたため、現代につながる種族となったとのこと。すなわち、道具や狩猟の手法など、種族内での小さな「発見」を言葉で共有することができ、文明を築くことができ、先住の種であるネアンデルタール人などとの戦いに勝つこともできたと言われます。
 ちなみに、わたくしが中高で世界史を勉強した際には、人類はネアンデルタール人、クロマニヨン人と進化して現代のわれわれにつながるというように習ったように思うのですが、1994年から1997年にかけて発表された研究から、アフリカ出身でヨーロッパを本拠としていたネアンデルタール人は同じくアフリカ発祥のホモ・サピエンスに滅ぼされたという説が主流になり、今に至るのだとか。歴史も何もかも、知識はアップデートしなければいけないものだと改めて感じます。
 また最近、わたくしが代表を務める社団法人の活動でご縁のあった小学校の校長先生が、アメリカ在住のアフリカ人のテンバさんという方の経験談をお話ししてくださいました。テンバさんは、あるとき白頭鷲が瀕死の状態で傷ついて飛べなくなっているのに出会い、最初は英語で“Oh dear, what is the matter?”などと声をかけていたものの、プライドの高い白頭鷲は、そのように弱った中でもくちばしで必死に応戦しようとしてきたとのこと。それでも何とかして助けないと出血もひどく死んでしまうと、果敢にも白頭鷲を抱きかかえに行ったその方の口から、とっさに、古くから母国に伝わる動物に呼びかける言葉が出たら、なぜかその白頭鷲はだらりと頭を預けて懐いてきたそうなのです。そこで、無事に保護して傷を治してあげることができたとか。
 この不思議なお話を聞いた時に、もしかしたら人類の発祥の地であるアフリカにいたわたくしたちの祖先は、言葉の原点に近く、動物とも会話ができたのではないか、との感覚がしました。白頭鷲はアメリカ大陸のみに生息している鳥だそうですので、どこまで関連があるかは不明ですが、ちょっとロマンティックな話だと思います。この話については絵本化の計画もあるそうで、世に出た時の反応がまた楽しみです。

言葉の広がり

 言葉の広がりについて調査を行った鈴木秀夫氏の『気候の変化が言葉をかえた-言語年代学によるアプローチ』『気候変化と人間-1万年の歴史』など一連の著作を読むと、いかに言語が広がっていったかを知ることができます。「歯」「血」「手」など、基本的な単語に着目して、それぞれの地域でどのような言葉が使われているのか、似たもの同士をグルーピングして地図上に示すという手法を採っています。それによると、アイスランドやブリテン島の南端と、インドのグジャラティ語の親和性から、改めて「インド・ヨーロッパ語族」と言われる所以がわかったり、民族の移動があって言語が「上書き」された歴史、民族の移動が至らず、先住民族が残った白地地帯に特異な言語が存在(バスク語やケルト語など)することがわかったりします。また、特定の事物の発見や発明によって、言葉が開発され、伝播した歴史も示されています。例えば「鉄」は3200年前にヒッタイト帝国が崩壊した際に、その製法の秘密が世界に広まっていったものであり、事物の伝播とともに言葉も広がるという過程が理解できて面白いです。

認知と言葉

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 農耕文化と共に広がった「牛」を例にとれば、日本人にとって牛は農耕をする上で欠かせない大切なアイテムであり、食べることは禁忌でした。今でこそ多くの焼肉屋で珍しい種類の部位を食することができるようになりましたが、日本人が本格的に獣肉を食べるようになったのは明治維新以後だったため、もともと牛の部位を表す言葉は日本語には20種類しかなかったそうです。他方、昔から牛肉が身近な食材であった韓国では100を超える言葉で部位を表していたそうで、焼肉屋さんを営む韓国人の方が、同じ名前で別の部位を供さなくてはいけないのがもったいないと嘆いたと言われます。それがカルビ、ハラミをはじめ部位の認知と共に言葉が定着し、日本語の語彙も増えたと聞きます。確かにその方がおいしそうに聞こえます。
 単純に新しい物が入ってきて、外来語として認識されるだけではなく、既存の物も見方を変えると別の単語が当てはまるという一例かと思います。
 さらに近年であっても、「ケータイ」という言葉は電話が携帯できるようになるまではなかった言葉で、「スマホ」もケータイが賢くスマートになられて登場した言葉なわけで。Telephoneそのものだって、グラハム・ベルらが19世紀に開発するまではなかった言葉で、それが日本に送られ「電話」と訳されて初めてその物体が認識された、と考えたら面白いですよね。新興国の中には、固定電話回線のインフラを持たないまま、いきなり携帯電話が普及した国々も多いと言いますが、もしかしたら固定電話という概念の言葉がない国もあるのかもしれない?! などと考えてしまいます(ご存じの方がいらしたら教えてください)。
 このように毎日の生活で周りを見渡せば、すべての物事や事象は言葉があって成り立っているという事実に改めて気付きます。

言葉と知覚

 言葉が物事の知覚のはじまりである、というのを聞くと、思い出すのがヘレン・ケラーの伝記です。特にサリバン先生が何度も手にW-A-T-E-Rとアルファベットを書き、水を触ったヘレンが「これがWATERか」、と気付く箇所は読むたびに胸が熱くなったのを覚えています。
 子どもを育てていると、同じように「言葉」と「事柄」がビビビっとつながった、そのはじまりの場面に遭遇することが多くあります。このコラムを担当させていただけることになった時にはまだお腹の中にいた第三子が、おかげさまで2歳を過ぎ、現在、毎日貪欲に新しい単語を習得している最中です。生まれて数か月して、クーイングや喃語という「おしゃべり」を始め、目の前にいつもいる人を認識して「ママ」という言葉を発し、それが、「ママ、だっこ」と2語文になり、「ママ、ここ、きて」と3語文になり、今では簡単なギャグが飛ばせるまで……、とどんどん「進化」しているわけです。言葉が一つ増えるたびに、彼女には新しい世界が開けているのを感じます。
 その中で明確に思い出すのが、「ホウチョウ」という言葉を教えた時のことです。台所の流しの下の戸棚に包丁を収納する場所があるのですが、そこだと子どもの手が届いてしまうため、我が家では台所の上の方に細長い磁石のホルダーを設置し、そこにピタっとくっつけて、鋏など他の刃物と一緒に並べています。その台所の壁に張り付いた刃物は、それまではおそらく娘にとっては風景の一部として見えていたのでしょうが、あるときその一部の銀色の物体が手元に下りてきて、きゅうりを刻むのに使われたりする、そしてそれを母が(わざとですが)触って「痛い!」「危ない!」と言っている……。そうした光景を数回見てから、彼女は包丁を「アブッ!」と言って指さすようになりました。彼女にとり、あたかも平板な一色の風景だったところから、ホウチョウというどうやら危ない物が切り取られ、独立した「存在」として見えるようになった、その瞬間に居合わせた、そんな感じがしました。

結論

 一面の壁の景色の中から、突然、包丁が形をなして明確に目の前に現れる……。優れたプレゼンテーションに出会うと、このように、一見ぼんやりと見える背景の中から、突如、明確に相手の伝えたい内容が切り取られて伝わってくることがあります。包丁で刺されるのはごめんですが、いわゆる「刺さる」プレゼンというのはこのことをいうのだと感じます。
 現在、法人からお子様までを対象に、プレゼン力向上のお手伝いをしておりますが、その仕事をしながら常々感じるのが、表現の根源にある一つ一つの言葉の大切さです。言葉の微妙なニュアンスの違いにより物事の認識のされ方も変わります。「はじめに言葉ありき」という言葉の重さをひしひしと感じます。
 また、コミュニケーション能力が低かったネアンデルタール人が現在につながるホモ・サピエンスに滅ぼされたという歴史もズシリと響きます。日本人のように多くを語らず、会話量が少なくても生きてこられたという「高コンテクスト」な文化には、尊ぶべきところも多くありますが、そうした表現方法だけに甘んじていてはならないという、歴史の警鐘かもしれない。わたくしにはそんな風にも感じられます。
https://www.buaiso.net/business/economy/29037/

2015年6月29日月曜日

雑誌『BUAISO』 第12回目は「プレゼンテーション(3) ~高コンテクストで森林の民で遮らない日本人」です



プレゼンテーションシリーズ第三回目。どうして日本人の話は伝わりにくいと言われてしまうのか。そして欧米人と話していると、どうしてこうも話を遮られるんだろうか・・自分の英語力が足りないせいなのか、とお思いだった皆様に。
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振り返れば2013年3月に初めてこちらに寄稿した『プレゼンテーション』という記事の中で、日本人は最初から順を追って説明しようとして、スライドやページを順に繰っていこうとするのに、欧米人が割って入って発言するためプレゼンや会議での説明がうまくいかない例がある、というようなことを書きました。これに対しては、海外とのお仕事を担当されている方などから、悲痛な叫びにも近いご賛同をいただいたりして恐縮でしたが、その号においてわたくしは、「恐らくこれは教科書を順に読み、また板書をひたすら写して『順を追って』進む形式の授業に慣れている日本人と、先生と問答しながら進んでいく双方向型の授業を受けている欧米人の対話スタイルの違いではないか」と、結論付けたのでした。また、日本語自体が「優しい言葉」なので交渉に向かない、などと書くに止めました。今号では、それから2年間、引き続き海外と日本の板挟みに合いつつ、いろいろな分野の著作を読み考えたことについて、議論を深めてみたいと思います。すなわち、この日本人と欧米人との会話のギャップは、言語の使い方、思考パターン、会話運びのルールなどにも原因があるのではないか、という話です。
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高コンテクストと低コンテクスト

日本人の研究としても知られる、文化人類学者のエドワード・T・ホール氏が1959年の『沈黙のことば』の中で、「文化はコミュニケイション(まま)である」と説き、さらに『文化を超えて』(1975年)の中で、「言語なくしてはコミュニケーションはありえないのであり、それゆえ、文化もコミュニケーションも言語に依存する」と説き進め、初めて日本の文化を「高コンテクスト」、欧米の文化を「低コンテクスト」という言葉で表現してから既に40年が経ちました。
コンテクストが高い文化では、各個人に内在する「常識」が共通だという前提で、会話自体がその常識や調和を求めて行われるものだというものです。逆に低コンテクストな文化では、「お互いにあたりまえの物はない」という前提で会話が始まるので、会話の量、説明する量も必然的に増えます。
日本の社会における暗黙知、不文律、非関税障壁、腹芸など、海外から見ると理解できない、と言われる要素があるのは、このコンテクスト度が違うから、というのが大きいと思います。また、日本人が海外で見るテレビCMは、商品の名前、値段、特徴を連呼されてうんざり感じることがある一方、日本の広告は海外から見るとイメージ広告的すぎて、いったいなんのCMか最後まで見ても分からない、と言われるのもこの一つの事例かと思います。さらに、日本での会話運びでは、それ以上は聞かない、立ち入らない、という暗黙のルールがあるのに対し、欧米の方がやたらと「Why?」「Why do you think so?」と根ほり葉ほり聞いてくる、と感じる方も多いのではないでしょうか? 私も欧米人と仕事の空いた時間に議論をしていて、それ以上は意見なんてないわぁ、という自分の内部の「岩盤」に行きあたることがよくあります。日本人が英会話が苦手なのは、英文法よりもヒアリングよりも何よりも、実はこの自分の話を長々展開することがない、あるいは意見を表明する文化がないので、話が長続きしない、というところにもあるように思います。

森林の思考・砂漠の思考

そして少し視点が変わるのですが、地理学者の鈴木秀夫氏が唱える「日本人は森林の思考で欧米人は砂漠の思考だ」、という観点もまた、日本人と欧米人の話し方、考え方のギャップを語るものとして面白いです。日本人は森林の民で、視界が悪いことが前提で、ミクロな部分から会話をスタートするのを好むのに対し、欧米人は砂漠の民なので、鳥瞰図的に物事を捉えるのが好きで、総合的な議論を好む、というものです。言葉を換えると、「下から」ものごとを見る慎重な人間と、「上から」ものごとを決断する人間に分類される、と。日本では縄文晩期と弥生前期に森林化が進んで職人気質にも通じるメンタリティが醸成された一方で、ユーラシア大陸では5000年前に乾燥化、砂漠化が進み、一神教が確立され、「絶対的」なるものや「総合的」なるものが発生した、と、自然環境が思考様式を規定して、国民性に反映される様を、各種データからの科学的な裏付けもされています。
これまた腑に落ちる話です。というのも、わたくしが企業の情報発信から子どもたちのプレゼン指導に至るまで「発言の仕方」をサポートしている中で、つくづく感じるのが、日本人が話していて心地よいのは、根源的には「起承転結」スタイルなのかも、と感じることが多いからです。一つ一つパーツから話していく方が自然で、逆に物事を大局的に見てから微に入ったり、結論を先に言ってから理由を述べるというのも、実は何となく据わりが悪い。それに、そもそも論を振りかざすと嫌われる、というのもあるかもしれない。そんないろいろなことが背景にあって、日本人の話し方が長い時を経て形作られてきたように思うのです。そして、話し始めと終わりでは実は議題が変わっていたり、主語と述語の関係がなかったりというのはままある話で、通訳の方が一番苦心される点ではないかと思うのですが、これは教育レベルでの訓練の問題ではなく、遺伝子レベルで組み込まれてしまっていたり、言語が発生した時からそう規定されているというお話なのではないか、とも思えてきます。実に興味深いです。
そして、以前の号で、日本人の声が小さい理由が狭く海に守られた風土と文化によるものだと書きましたが、この掛け算により、ますます日本的なる話し方が形成されてきたように思います。

会話運びのルール

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もう一つ面白い研究が言語学者の井出祥子氏による日本人=「わきまえの文化」とする研究です。その研究では、テレビとラジオの1対1のインタビュー番組の録音を大量に分析し、会話の途中で言葉を挟む場合と、会話が終わってから話し手が交替する場合の二つの場面を分析し、話し手の交替が英語と日本語では違う意味を持っている、ということを突き止めています。話し手が遮る時、あるいは相手が話し終えて話し手が代わる場合、「応答」「確認」「同意」の場合は「同意」、「訂正」「話題転換」「反対」「質問」の場合は「反対」、として図示してみました。
日本人は会話の途中で同意し、相槌を打ちながら着地点、調和を求めながら聞くのに対し、英語の場合は相手の意見を確かめて、違う場合はすぐに相手の話を止めてでも自分の意見を差し挟むという結果が出てきます。逆に会話が終わってから出てくる話者の言葉は、英語では“Absolutely”である一方、日本語は「仰ることはわかるのですが、こんな見方も……」と言いつつ、ようやく持論を展開する、という研究です。2001年とこれまた若干古い研究ではありますが、これまた、深く首肯してしまう研究結果です。日本人は、ですから途中で話を遮られることに慣れていないわけです。

以上より

以上三点を総合してみますと、まず日本人はそもそもたくさん話すことを良しとせず、常識と思われる部分は話をしない、相手もそうであろうと考える。そして、ロジカルに話をする必要性を考えず、目の前にあることから話し始める。人の話を遮ってまで持論を展開することはない、相手もそうであろうと推測する、ということになります。
そう考えると、学校での教育によるもの、というよりはむしろこのような背景だからして現在の日本人が存在しているとすら考えられるわけです。

日本研究

今回、古い研究を読み進めていくと、ルース・ベネディクト氏の『菊と刀』をはじめとする太平洋戦争時の敵国としての日本、戦後の占領の対象としての日本人研究、その後60~70年代の驚きの復興から80年代の絶頂期までの日本脅威論(『ジャパンアズナンバーワン』『Smart Bargaining:Doing Business with the Japanese』など)に至るまで、アメリカが日本をいかに研究対象としてきたかが分かり感慨深いものです。日本人にとっては奇想天外に感じる部分も多いものの、日本人の特徴を知るには、実は国内の研究者が書いたものよりも、客観的でユニークな指摘が多いと感じます。今はもう、日本は海外から見て研究対象ではなくなって久しく、むしろJapanizationやらJapainともじられる程度になってしまったことに、悲しみを感じながら、これらの本を読み返しておりました。
「日本人は稟議を回すのに時間がかかるから、その間じっくり待つこと」、「日本人が微笑んだり、Yesと言ったりしても、本当の答えはYesではないかもしれないので気を付けること」などと相手方が気をつかってくれていたのは四半世紀も前のこと。その頃とは異なり、経済力の低下や人口減による日本の国力弱体化で、ますます自分のルールが通用しない世の中になるのだということを知らなければならない時代になっています。
遺伝子レベルだから仕方ないという話になると、またまた厄介なのですが、グローバルなルールというのが世にもう出来上がってきてしまった以上、日本人もそちらに合わせないといけない場面が増えてきてしまいました。日本人の話し方、会話ルールの特徴を知りつつ、場面ごとに即応する話し方というのを身につけられればグローバル時代の中でも、「最強の姿」に近づけるのではないでしょうか?
https://www.buaiso.net/business/economy/28709/


2015年6月7日日曜日

雑誌『BUAISO』 第11回目は「女性は「フラット」が気持ちいい?」です

拙稿アップされてました。今回は 教育ジャーナリストで友人のおおたとしまさくんの文章を引用させてもらい、女子の子どもの頃からの育てられ方と、社会人になった時の階層構造が不連続なんじゃないかな、という問題意識。運動会の話、そう言われてみれば、なぜ中1と高3が競うのか謎だったけど、背景はこういうことだったのか。
http://www.buaiso.net/business/economy/28443/
運動部出身の女子はそうでない女子と違うかもしれないし、私は中高共学じゃないから分からないことも多いのだけど、やっぱり男子校や男子のスポーツの世界とは違う気がしてならないのです。
ぜひいろんなご意見下さいな。

今週は海外から顧客が来日して、毎日4-5件のミーティングがありハードな一週間でした。ずいぶん会社のメンバーたちには助けられたものの、毎晩帰りが遅くなってしまいました。
そしたら来たー!! 足が痛いと言って学校に行けなくなる人(やむなく1人家に放置して出勤)、夜帰るなりいきなり目の前で吐く赤子・・(強いので翌日は保育園送りwwごめんね)
植物の水遣りと一緒で、愛情不足が影響?なぜここで?というのが多い気がします。なかなか人生、バランスをとるのは難しいです。

でも、今日はランチに入ったらちょうどこの雑誌が置いてあって、ほらほら私これこれ、みたいにお客さんに見せられて良かった。You are famous, Aska!って驚いてくれた笑。ありがたいことです。

2015年5月12日火曜日

雑誌『BUAISO』 第10回目は「もしもピアノが弾けたなら?」です

もしもピアノが弾けたなら
思いのすべてを歌にして
きみに伝えることだろう
雨が降る日は雨のよに
晴れた朝には晴れやかに
だけどぼくにはピアノがない
きみに聴かせる腕もない
 これは1981年に西田敏行さんが『池中玄太80キロ』というドラマの挿入歌として歌って大ヒットした『もしもピアノが弾けたなら』の1フレーズです。バブル以前のこの頃、ピアノはまだ人々の憧れの存在でした。今回はこのピアノを中心とした音楽市場に迫ってみたいと思います。
ご一読ください。
http://www.buaiso.net/business/economy/28559/

2015年4月24日金曜日

アルバ・エデュのブログ更新しました。 Vol.11 子どもたちが将来笑顔で働けるために

子どもたちが将来笑顔で働けるために

  • 2015.04.24
私はアルバ・エデュの活動の傍ら、海外の投資家に金融サービスを提供したり、逆に日系企業の対外窓口の方々をサポートをする会社を経営しています。

不思議に感じるのは、日本の会社と違って、欧米の会社は、大企業でも、リファーラル(誰かの口頭による推薦)と、30分程度の電話での「こんな仕事頼みたいんだけどできる?OK、ではメール送るね」という程度の電話会議で、こちらの会社について、何の細かな背景チェックもせずに急にお仕事を頼まれたりすることです。
日系の企業の場合は、どこか新しいところに仕事を頼む場合には、まずウェブサイトやデータベースでその会社の実績や役員の略歴などを入念に調べ、「問題なし」と分かってようやく社内で稟議書がまわり、何人かの決裁ハンコを経てようやく契約が成立するというのが平均的なパターンなようです。

当然、取引開始までの時間も大きく異なります。私はこの取引のスタイルやスピードの差は徐々に縮まっていくと考えています。

最近、今の子どもたちの65%は大学卒業後、今は存在していない職業に就く、というレポートが発表されました(Cathy Davidson, NY市立大)。その結果、組織に雇われない生き方も増える、と言われています。そんな世界では、個人個人がスピード感を持って、自分の魅力や実力をアピールしていかなければなりません。これまでの日本のやり方であれば、企業の沿革、規模、学歴や職歴、資格などと言ったもので信用され、仕事が舞い込むこともあったでしょう。しかし、これからの時代は自力で仕事を獲得する力がますます必要になってくると思われます。

日本は人口も減り、情報や物の流通の活発化で海外との垣根も下がる中、日本のマーケットだけではビジネスが完結しない時代になってきます。また、資金力や事業承継の問題から、あるいは高い技能を狙う海外の投資家によって、資本や経営がますます国際化することでしょう。

そんな中、せっかく優秀な頭脳を持つ日本人の次世代が割り引かれて評価されたのではもったいない。出来る限りの「武器」は授けてあげたい、と思ったのが、この活動を始めたきっかけです。

日本人の次世代に発言力を。

私たちの活動は、子どもたちが将来笑顔で働くための処方箋だと考えています。
(Aska)

2015年3月3日火曜日

アルバ・エデュのブログ更新しました。私たちの思い Vol.10 ~ 次世代の発言力強化のために、着実に進んでまいります ~

私たちの思い Vol.10 ~ 次世代の発言力強化のために、着実に進んでまいります ~

  • 2015.03.03
今だから話してしまいますが、私は自分自身が母となるまで、実は子どもが好きなわけではありませんでした。例えば出張の際、新幹線や飛行機で隣の席に子連れ家族なんかが来たら、すぐに車掌さんなどに席を替えてもらい、「いやーよかった、さあ仕事に集中集中」、なんていうタイプでした。それが3人の子の母になるなんて。そして次世代向けのプロジェクトに全身を投じることになるなんて。その頃の狭い了見の自分を振り返ると、冷や汗が出ます。
私にとって転換点となったのは、フルタイムの会社員をやめて独立し、さらに引っ越した先で保育園にすぐに入れず子どもたちを幼稚園に拾っていただいたこと。その結果、仕事を減らして子どもとの時間を多くとることを余儀なくされました。正直なところ、仕事人としては敗北感でいっぱいでした。何の不自由もなく朝の勉強会から夜の飲み会までフルで楽しむ夫に比べ、なぜ自分はこんなに仕事ができないのだ、と。そして昼間のロスを埋めるために、睡眠時間を削って仕事をするという生活でした。

しかし、自分の子と過ごす時間が増えたことで、子どもの習い事や園での友達、そしてママ友たちと、非常に多くの方との交流が始まりました。今思えば、これは私にとって運命的なものだったように思います。たくさんの子どもたちとも過ごす時間が増えると、実に豊かな個性の数々に出会います。そして、なぜか不思議と、どの子に対しても、母の眼差しで見ている自分がいるのです。どの子もかわいく、そして宝物だなぁ・・・と。そう、つくづく感じるように私自身が変わったのです。

社会に目を向ければ、長引く不況で国の財政赤字が巨額化し、少子高齢化の中で若者世代の意向が反映されにくい政治システムの中で、ますますこのツケが次世代へと回されています。この子たちが大きくなった頃、グローバル化がますます進行する中で、ハングリー精神あふれる諸外国の同世代と伍していけるのか。今のままで、今の大人世代が享受したと同じだけの物質面での幸せが得られるのか。自分たちを取り巻く環境が激しく変化していることにどこまで気付いているんだろうか。そんなことを考えては憂鬱になっていました。

でも考えているだけでは事態は良くならない。
「もっと対外的な発言力を強化しないことには、日本人はグローバル化する社会の中で採用されなくなってしまうのではないか。話す力は若いうちから鍛えるに越したことはない!!」
私の懸念と思いを周囲に話すうちに、賛同してくれる仲間が増え、昨年12月には社団の設立というところまでこぎつけました。できることから進めようと考えて昨夏から始めたワークショップは、3月頭現在で10回を数え、公立小学校や幼稚園には出前授業の機会もいただきました。スタッフとは別に社団で迎える社員、今後募る予定の賛助会員、その他サポーターの皆様のお力添えを得ながら、着実に一歩一歩進んでまいりたいと思います。
これからもアルバ・エデュをよろしくお願いいたします。
(Aska)